本年度より、教育支援センター主催の教養教育セミナーにおいて、いよいよ哲学カフェが始動します。

哲学カフェとは、参加者間での会話がより促進されるように、先生や生徒、上司と部下などといった社会における役割関係をいったん解除し、フラットで気楽な対人関係のもとで進められる哲学的な対話の試みのことです。毎回テーマを決め(たとえば「この私の体は本当に私のものだと言えるか」など)、それについて「そもそもそれってどういうこと?」といった遡行的な問いを投げかけていきます。哲学的な対話と言っても特に哲学的な知識は必要なく、かといって好き勝手なおしゃべりにならないよう、ファシリテータをとおして参加者同士が〈話す‐聞く〉といったやり取りを丁寧に行い、対話を深めていくのが一番の特徴です。1990年代にフランスの哲学者マルク・ソーテ(Marc Saute)が、パリのバスティーユ広場にある「カフェ・デ・ファール」ではじめたのがきっかけとされています。

哲学カフェがパリで偶然に生まれた条件の一つに、「カフェ」のもつ社会歴史・文化的背景があげられます。何よりも、ヨーロッパの17世紀後半から18世紀において、「市民社会」(市民的公共圏)の成立においてカフェが果たした役割を無視することはできません。ドイツの哲学者であるユルゲン・ハーバーマスによると、17世紀にロンドンに登場した「コーヒー・ハウス」や会食会には、「社会的地位を度外視する社交様式」あるいは「対等性の作法」が見受けられ、教会や国家の権威から自由に討論し、すべての人が討論に参加できるような場であったということです。カフェでは意見交換や討論、さらには、その議論の内容を伝える政治新聞に媒介されながら、国家との対抗関係のなかで、公的なことがらについての議論が形成され、「政治的公共圏」が誕生しました(『公共性の構造転換』未来社、1994年)。つまり、「カフェ」とはもともと「市民が平等な資格で出会い」、〈対話〉を重ねながら「世論をつくり出してゆく」、「対等性の作法」によって編み上げられた市民活動の場として機能してきたと言えるのではないでしょうか。

本学でも、学生や教員、職員のあいだの垣根を取っ払い(将来的には一般の方々も招いて)、ひとつのテーマについてじっくりと対話を重ねていくカフェ文化を拓いていきます! みなさま、ぜひご参加ください。