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2017.03.17
平成28年度東北文化学園大学・大学院 学位記授与式を挙行しました。
ニュース

東北文化学園大学・東北文化学園大学大学院 学位記授与式 

平成29年3月17日(金) 

平成28年度東北文化学園大学・大学院 学位記授与式が挙行されました。

 

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学長式辞

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 今年は雪の少ない冬でした。庭の福寿草は、毎年学位記授与式がいつかを知っているかのように、芽を出し、蕾をつけて来ます。

 東日本大震災が起きてから、ちょうど六年が経過いたしました。

常磐自動車道は、全線が開通しましたが、昨年暮れの浪江-富岡間のモニタリングポストは3.7μシーベルト/hを示しており、沿線の畑のあちこちには黒い袋に入れられた汚染土壌が整然と並べられ、放置されていました。

日和山から見た石巻の町に、復興に向けた人の動きは未だ目立ってきていないように見えます。多くの想いをのせて、震災後六度目の春が来ようとしています。

東日本大震災の時に高校生だった皆さんは、今日晴れて学位記授与式を迎えます。皆さんの引き締まった顔を拝見しておりますと、震災からの復興の担い手として、今後中心になって働いて行く皆さんの並々ならぬ決意が伝わって参ります。

今年もまた、希望に満ちた春が訪れます。

 

 本日ここに、ご来賓並びに東北文化学園大学関係者各位のご列席のもと、平成28年度学位記授与式が挙行できる喜びをかみしめています。この度学位を授与された者は、医療福祉学部316名、総合政策学部82名、科学技術学部47名、合わせて445名です。     

また、健康社会システム研究科を修了して修士の学位を授与された者は12名、博士の学位を授与された者は1名、健康社会システム研究科に博士論文を提出し、所定の審査に合格し博士の学位を授与された者は1名です。

 卒業する皆さんは、本学にとって15回目の卒業生となります。在学中の様々な壁を乗り越え、日々努力し、成長した証として、本日ここに晴れて学位を授与されることになりました。皆さんのこれまでの努力に対し心から敬意を表し、ご卒業をお祝い申し上げます。

また、皆さんをこれまで支えてくださった保護者の方々、皆さんと辛苦を共にし、教育に勤しんでくださった教職員の方々に、心から感謝し、お喜び申し上げたいと思います。

 

 さて、学位記授与式にあたって、皆さんに遠藤周作の「女の一生」という小説を紹介し、贈る言葉としたいと思います。

 この小説は長崎を舞台にし、海岸沿いの大浦通りを曲がりグラバー通りの坂をグラバー邸に向かって上る、その途中にある大浦天主堂を中心にした小説です。一部と二部に分かれており、それぞれ一人の女性が主人公です。最初の女性の名前はキクといいます。

時代は1867年、浦上四番崩れという、隠れ切支丹が大勢逮捕され、棄教を迫られ、迫害・拷問を受けた事件を扱っています。キクは隠れキリシタンの清吉に恋し、清吉のために体を売り、清吉を救うために命をささげた女性です。二人目の主人公は、キクより一つ年下の姪、ミツの孫サチ子です。修平はサチ子の恋人で、この二人は大浦天主堂でいつも会っていた幼馴染でもあります。

大浦天主堂のマリア像の前で隠れ切支丹が発見された六十三年後、1930年から第二部は始まります。その年、一隻の船が長崎港に入港しました。その船にはポーランドから来たコルベ神父が乗っていました。6歳のサチ子は、大浦天主堂でコルベ神父に会い、カードをもらいます。そのカードには「人、その人のために死す。これより大きな愛はなし」という聖書の言葉が書かれていました。修平は、大学生になって学徒出陣で招集され、海軍航空隊の予備学生になり、終戦間際、特攻隊に志願し、戦死します。小説では修平の死と、アウシュビッツにおけるコルベ神父の死が重なって描写されます。そして、1946年8月8日、修平が戦死した四か月後に長崎に原子爆弾が投下され小説は終わります。

日本で最も歴史の古い基督教の街、長崎を舞台に、遠藤周作はキクの清吉に対する決して実らぬ無償の愛を通して、切支丹達が、どんなにひどい迫害・拷問を受けたか、そして、切支丹たちはそれに屈せず、自分達の信仰を守り抜いたことを、高らかに謳いあげています。江戸幕府から明治新政府になっても、切支丹禁止令はそのまま受け継がれていたのです。遠藤周作は、第二部でサチ子の父親に、「浦上者の苦しみのおかげで、こん日本は宗教の自由ば得たことばみなは知らんとたい」と言わせています。

第二部は第二次世界大戦が物語の背景となります。戦争に出陣する修平の「殺すなかれ」という聖書の言葉をめぐる苦悩と、アウシュビッツのコルベ神父の行為が、交互に描かれます。マキシミリアノ・コルベは1894年生まれのポーランド出身のカトリック司祭です。1930年、布教のために四人の同僚とともに長崎にやってきました。コルベ神父は、六年間日本において布教活動をした後、ポーランドに戻りました。しかし、ナチスドイツに捕らえられ、アウシュビッツに送られました。この時、見せしめのために処刑されようとした一人の人の身代わりになることを申し出て、飢餓による処刑を受けた人で、アウシュビッツの聖者として語り継がれている人です。一方修平は、「私たちに人間を殺すことを強制する権利が国家にはどうしてあるのか」、「戦場で相手を殺さねばならぬとき、どうしたらよいのか」という悩みを抱きつつ、特攻隊を志願することになります。

私たちは、お互いにいがみ合わず、殺しあわない世界を作ることはできないのでしょうか。なぜ私たちは歴史から学び、同じ過ちを避けることができないのでしょうか。今なお武力紛争が続いている世界への決して色あせることのない問いかけです。

第二部は、長崎への原子爆弾投下によって終わっています。「そうしなければ、さらに無数の人が死ぬんだから。これは戦争を早く終わらすための手段だ」と、遠藤周作は米兵に言わせています。しかし、広島では原爆投下の年の内に12万人以上、長崎では7万人以上の方が亡くなったと推定されています。これほどの一般市民を巻き添えにする殺戮を正当化する理由などあるのでしょうか。遠藤周作は、キクの清吉に対する、そしてサチ子の修平に対する一途な愛、そしてコルベ神父のアウシュビッツでの行為を通して、一人の人の命の尊さを伝え、原子爆弾で一瞬にして亡くなった無数の人たちの魂を鎮魂しているように思われました。

「女の一生」が書かれた時代は、浦上四番崩れから長崎への原爆投下までの79年にわたっています。日本は、この79年の間に二つの世界大戦を経験し、大量殺りく兵器が人類で最初に使用された国となりました。戦後さらに70年が経過し、あと10年で小説「女の一生」と同じだけの時が流れます。私たちが今生きている世界はキクやサチ子が生きた時代とどう変わったのでしょう。日本はこれからどこに向かおうとしているのでしょう。

皆さんはこれから、ますます複雑になっていく社会に第一歩を踏み出し、そこに生活の基盤を作り、その社会の中で家庭という巣を作り、家族を養い生きていかなければなりません。皆さんがこれから生きていく中で一番大事なこと、時代がどんなに変わっても必ず守らなければならないものとは何なのでしょう。「人間の尊厳」、「命の大切さ」、それこそが清吉が守り、コルベ神父が守り、そして修平が悩みぬいた命題、遠藤周作が訴えたかったことなのではないでしょうか。

 それでは、今日この良き日を心から祝福するとともに、皆さん一人一人の人生が幸多いものとならんことを祈りつつ、式辞とさせていただきます。

 本日は、誠におめでとうございます。

 

平成29年3月17日
東北文化学園大学
学長  土屋  滋

 

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