社会学・福祉学研究

社会学・福祉学研究からのアプローチ

被災と非被災の境界から見える 復興への役割と価値

山﨑 真帆 講師
現代社会学部 現代社会学科
山﨑 真帆  講師
「災害研究」は、台風の進路予測や地震のメカニズムなど理系、いわゆるエンジニアリング分野の研究をイメージしますが、心理学や社会学など文系でも様々な研究が進められています。その中で、ご自身も震災ボランティアを経験し、その後、南三陸へ移住された山﨑先生は、文化人類学からのアプローチでフィールドワークを行い、その地域ならではの文化や文脈を大事に、独自の視点で研究に取り組んでいます。

文化人類学からの研究アプローチとは?

文化人類学からのアプローチでの災害研究で、山﨑先生が重視するのは、地域にもともとある文化や文脈、暮らし。フィールドワークを通して、それらと災害の交わりを丁寧に掘り起こし、「なぜそのような災害、被害が生じたのか」「なぜそのような復興のあり方になったのか」をひもといてきました。
「私は、特に被害が大きい地域ではなく、相対的に被害が軽微な人々、コミュニティというところに焦点を当て、復興やその後のまちづくりに、そうした人たちがどう関わるのかということに興味を持ち、研究テーマにしました」と山﨑先生。地域は南三陸町。震災でクローズアップされた、象徴的な被災自治体のひとつです。


「文脈を大切にするのは、人が行動したり話したりすることは、所属している団体や立場、育ってきた環境、その場を共有する相手によって大きく変化するからです」と話す山﨑先生。

ボランティアが研究のきっかけに

東京都出身の山﨑先生が、南三陸町に関わるようになったきっかけは、東日本大震災のボランティア経験でした。
「震災当時、私は大学2年。就職活動前で体力もあり、自由がきく学年だったので、夜行バスで南三陸や気仙沼へ向かい、ボランティアをしては夜行バスで帰るという生活をしていましたが、授業や部活で長期間は行けませんでした。そこで長い人生、1年くらいやりたいことをしようと休学し、被災地で復興ボランティアに携わるNPOスタッフになりました」。その活動拠点となったのが登米市で、隣町の南三陸町や気仙沼市、石巻市などの復興に尽力します。その活動を通して、地元の人たちが『B級被災地*1』と呼ぶ地域とはどんな存在で、復興にどう関わってきたのかを身近に見て、声を聞き、肌で感じることができました。
「被災地域と非被災地域の間には、被害や震災の影響にグラデーションがあります。その中で、どこに、どのように注目が集まるのか、注目が集まらなかったところにはどんな変化があるのかを知り、様々なことを考え始め、その気づきを突き詰めたいという思いが、今の研究に繋がっています」。
*1:東日本大震災時に地震被害がありながらも、沿岸部からの避難者を受け入れた自治体の人々が自虐的に自らの地域を表した言葉

外側のコミュニティで気づいた、境界域の価値

南三陸町の復興に果たす登米市の役割は、とても大きかったと言います。
「登米市の人たちは南三陸町の復興のために尽力していました。でも、その部分はあまり注目されないし、誰も研究もしていない。それを見て『これは自分がやらないと!』という使命感に駆られました」。登米市には南三陸町からの避難者を受け入れる大規模な仮設住宅が設置されていました。山﨑先生自身も支援に携わる場所でもありました。
「仮設住宅があるのは登米市、でも住んでいるのは南三陸町の人たち。関わっていく中で、管轄はどっちの町で、様々な住民サービスや税金はどんなふうに担っているんだろうなど、どんどん疑問がわいてきました。文化人類学には「境界論」という考え方があるですが、まさに登米市と南三陸町の境界もそのひとつ。境目が曖昧だったり、はっきり位置付けられない部分にこそ、とても価値があると言われています」と山﨑先生。

研究の中心はフィールド調査


山﨑先生の調査は、アンケート調査のような量的調査ではなく、質的調査が中心。実際に現地に足を運び、多くの人々と会って、インタビューや参与観察*2という形で、情報を掘り起こしていきます。
「文化人類学なので行って話を聞くことが大事です。先日は南三陸へ移住した女性のみなさんに、最近立ち上げた子育て支援サークルのイベントの調査に行きました。気づいたらスタッフの一人としてもお手伝いしていました」。山﨑先生自身もボランティアや調査研究をきっかけに、南三陸町との関わりが深くなり、南三陸町に生活拠点を置き、仙台市との二拠点生活を送っています。
「南三陸町に長く住んでいるからこそ聞けることもあって、自分がこの研究をやる価値があるなと感じます」。その経験から学生のみなさんに「インタビューは誰が聞くかによって聞き取れる内容が全然違うので、聞き手や聞き方が大事」と伝えているといいます。
*2:社会調査の方法の1つ。調査者が調査対象である社会や集団に加わり、長期間生活しながら観察し、資料収集する方法。



南三陸町の震災遺構を見学する学生

空間から時間軸へ視点を変え、 移住者をクローズアップ

「これまでは、空間的に被災と非被災の間ぐらいにスポットを当ててきましたが、最近は時間軸に沿って、被災後に自治体に来た人たち、移住者にスポットを当てています」。つまり、後から地域に加わり、ある種「よそ者」であり続けることによって、復興に関わりにくかったり、当事者になりにくい人たち、移住者を研究しているといいます。
「災害を研究する社会学の領域では、災害ボランティアの研究は盛んですが、移住者の研究はまた別で、農村社会学や人文地理学分野のテーマです。元々震災ボランティアで移住者というのはその中間。私自身もそうなので当事者研究として、両者をつなげるような研究をしたいんです」と山﨑先生。



「現代社会学部ではインターンや社会調査実習、ゼミでも地域で活動する機会が多いですね」と山﨑先生。

震災後の移住者世代で見る南三陸町

南三陸町へ移住した人たちは大きく分けると4つの世代があります。
震災前の移住者を0世代とすると、第1世代は震災後ボランティアや支援者として派遣され、それをきっかけに移住してきた人たち。
「彼らは、被災後のカオスな時期を町の人とともに乗り越え、深いつながりが生まれそのまま移住するというパターン。彼らは町を選んで入っているわけではなく、たまたまその町だったという人たちで、被災自治体で一番特徴的な人たちですが、町の復興だけでなく、移住者ネットワークや地域コミュニティの運営、ビジネスの分野などでも担い手として地域を牽引してきたという特徴があります」と山﨑先生。一方。第2世代は、第1世代が活躍しているのをみて、「自分たちも彼らと同じようにやりたい」と入ってきた人たちで、中々うまくいかないという経験をした世代。そして、第3世代は、復興も落ち着き、他の地方移住と同じように、地域おこし協力隊*3など、それぞれのミッションを持って移住してきた人たちです。
*3:都市から人口減少や高齢化等が進む地域に移住し、地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR等の地域おこし支援や農林水産業への従事、住民支援等の「地域協力活動」を行いながら、その地域への定住・定着を図る取り組み。



かさ上げ工事が進む南三陸町(2019年時点)。

第1世代がコミュニティづくりを方向づける

第3世代に移行している現在も、第1世代の特徴や影響は色濃く残っています。
「例えば、気仙沼市や女川町は事業を立ち上げる人が多かったので、今でも起業に積極的です。移住者同士のネットワークがかなり強い地域もあれば、弱い地域もあります。最初に入った人たち、その母体となる企業や団体の得意分野によってその後の移住者の系統が特徴づけられるというのは面白いなと思います。また、第1世代の人たちは、移住者が入ってくる経験がなかった町にとって、外部からの人々を受け入れる素地を築く上でも重要な存在であったとも感じます」と話す山﨑先生。移住者の研究が他でも盛んになってきたことから、今後は同じような関心を持っている人たちと研究会を作ってこれまでと違った研究にも取り組んでいきたいと抱負を話します。