経済学・法律学研究

経済学・法律学研究からのアプローチ

誰も排除されることのない社会の実現を 憲法学の研究からアプローチ

淡路 智典  准教授
経営法学部 経営法学科
淡路 智典  准教授
障害や疾病、家庭環境、失業、貧困などによって、社会や地域から取り残されている状況のことを「社会的排除」といいます。例えば、障害者、シングルマザー、ホームレス、非正規就労者などが、社会の中心から除外され社会統合のプロセスから排除を受けていると考えられています。そこで、憲法学や人権論の観点から、社会的に排除されている人の苦境を裁判による解決によって救うことができないか、という視点に立った法的アプローチによる救済という研究が進行中です。憲法による解決とはどういうことなのか、研究に携わる経営法学科の淡路智典准教授に伺いました。

憲法の存在が排除のない社会をつくる

人間は一人では生きてはいけず、社会を形成して生きています。社会の中で暮らしていくには、医療や福祉、教育、住まい、就労などの機会を得て、地域の中でさまざまな交流を持つことが必要です。社会的排除は、個人がそのような機会を十分に得られない状況のことを言います。ヨーロッパでは20世紀後半以降、こういった状況を個人の問題とせずに国や地域が解決すべき問題と捉え、排除を防止する取り組みが進められてきました。日本でも近年、一つの政策が示されました。
「2021年、内閣官房に『孤独・孤立対策担当室』が設置され、国として社会的排除の問題に対して取り組む姿勢を見せています。しかし、この取り組みは政策レベルのものであり、個人に権利を付与するようなものではありませんでした。そこで、私たちの研究は、政策レベルの救済のみではなく憲法や人権という観点から個人が権利主張できるように、すなわち裁判による救済を求めることはできないかということを研究しています」。
その根拠となるのが日本国憲法です。そもそも憲法とは何か、淡路先生は法律との違いから説明します。「憲法は国家を規制対象にした法規範で、法律は国民を規制対象にした法規範です。例えば、刑法は犯罪と刑罰について定められた法律ですが、言い換えれば、国家が国民に対して刑罰が与えられるから『~してはいけません』というルールを課していることになります。憲法は方向が逆で、国民の権利・自由を守るため国民が国家に対して『~してはいけない』『~するべき』といった内容が定められたルールです。

日本は男女差のない平等な社会?

研究では、憲法14条(法の下の平等)と憲法25条(生存権)の観点から社会的排除の問題を捉えられることを指摘しています。憲法14条は「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」というものです。
「しかし、例えば平等を性別で見た場合、婚姻時の姓選択や職場での評価・昇進制度、入試の男女別定員制など、女性は男性より不利な状況にある場合が多いのが現実です。毎年世界経済フォーラム(WEF)が発表する、男女格差の現状を各国のデータをもとに評価した報告書によると、2023年度の日本のジェンダーギャップ指数は146カ国中125位と過去最低でした。また、障害者差別などについても個人の問題と捉えられ、2024年4月に合理的配慮が義務化されたものの、社会と交わる機会を得られない場合が少なくない状況にあります。このような排除の問題も憲法上の権利侵害として、裁判所に解決を求められる法的な枠組作りを考えています」。


「憲法の条文は単に覚えるだけでなく、現代社会を見つめた時に問題はないかどうかなど考えることが大切」と淡路先生。

生存権は社会的排除を救えるか?

近年、ジェンダーや同性婚、婚外子の相続、国籍選択といったマイノリティの他、ヤングケアラーの問題が盛んに議論されています。
「家族の介護や世話に追われる子どもたちは社会の主流から外れ、社会的包摂されていない状態です。社会的に排除されているのだから、救済しなければならない。では、救い方としてどのような方法があるのかを考え、見つけなければなりません」。淡路先生は、その選択肢を法的な観点から増やすことができれば、と話します。
憲法25条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」ことを示した生存権です。具体化するために生活保護法や児童福祉法、身体障害者福祉法等の社会保障制度が設けられています。しかし、この生存権には様々な解釈が主張されてきました。
「一つは『プログラム規定説』という考え方があります。これは、国に努力を要求しているだけで、国民が国に対して具体的措置を講ずるよう請求できる権利ではありません。対して『抽象的権利説』は、法律があれば裁判で訴えを起こすことができるという考え方です。また『具体的権利説』という考え方もあり、法律がなくても憲法25条に基づいて訴訟提起できるというものです。しかし、判例では具体的権利説は採用されていません」。



淡路先生が最近執筆したものに『障害のある人が出会う人権問題』(共編著、成文堂2023年刊)、『人権と社会的排除』(共著、成文堂2021年刊)などがある。

マスでなく声を上げた一人の救済を可能に

「社会的排除はもともと経済学の分野で進んできた考え方で、経済学は貧困問題の解決を課題としてきました。しかし、お金を持っていても差別を受けている場合がありますね。例えば、体に障害があると施設を利用できないとか、アクセスの手段がないとか、そのような状態に対して貧困だけでは分析できないため、社会的排除という考えを作り出しました。しかし、そこでは救済の問題は取り上げられても集団の問題としてだけでした」。
淡路先生は、社会的排除を政治的な問題ではなく、法的な問題として捉える理由についてこう説明します。「政策とする場合、その対象は“マス”になります。例えば、税金を減らすとか分配するとか、それは大勢の人に向けられます。しかし、社会的排除されている状態というのは集団としてだけではなく個人としても問題とすることができるはずです。だから法的な問題とすることによって、一人一人が声をあげた時に裁判上の救済を与えることができるように、というのが基本的な考え方なのです」。研究ではフランスやドイツ、アメリカなど諸外国との比較調査を行い、日本国憲法で扱える社会的排除論の構築を目指しています。
社会的排除と対になる言葉に社会的包摂があります。社会的に弱い立場の人も含め誰一人残さず社会の一員として包み込もうという、合理的配慮も関連する言葉です。
「社会には様々な問題があり議論がされています。そういったニュースに関心を持ち、自分なりに調べる経験があることで、幅広い分野の学びに役立ちます」。