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総合政策学部 総合政策学科

災害救助犬や盲導犬は軍用犬から生まれた

2021.12.28
経営法学部教授 岡 惠介

 災害救助犬や警察犬などについて調べていくうちに、どうやらこれらの犬の優れた嗅覚や捜索能力を人の役に立たせる犬の訓練のルーツは、軍用犬の育成にあったことがわかってきた。

 これについては『帝國の犬達 明治から昭和の敗戦までに至る時期を生きた犬達のお話(https://ameblo.jp/wa500/)』というブログが詳しい。このブログの主に「日本のレスキュー犬史」や「日本の盲導犬史」の項や、葉上太郎著「日本最初の盲導犬」(文藝春秋 2009年)、 陸軍歩兵學校研究部著「軍用犬ノ飼育ト訓練」(陸軍歩兵學校將校集會所 1928年)を参考に、私のこれまでの災害救助犬を目指してルカやビアンカと行ってきた訓練の体験も交えて、以下に述べてみる。

 軍用犬といえば一般には、軍関係の施設の警備にあたり、夜間でも優れた嗅覚で不審者を発見して撃退する歩哨や警備といった役割が想像されるだろう。あるいは、戦場を駆け回り、本部の指令を前線に伝える伝令が思い浮かぶだろうか。今日ではこうした役割は、IT、デジタル無線などの発達で犬の手を借りなくてもよくなっているのかもしれない。

 しかし軍用犬は、実はこれ以外にも様々な役割を担っていた。例えば負傷兵の捜索である。負傷兵の捜索を行う犬は衛生犬と呼ばれた。元々の衛生犬は、セントバーナードがよく用いられたアルプスなど雪山での遭難者の救助犬のように、消毒薬などの医療キットを身につけ、負傷兵を自軍まで安全に誘導するという困難な役割を負わされていた。この衛生犬の仕事を効率化したのは、第一次世界大戦下のドイツだった。    

 シェパードという犬を発見して世に紹介したドイツ人のシュテファニッツが総裁を務めた独逸シェパード犬協会(SV)は、多数のシェパードをこの負傷兵の捜索が行えるように訓練してドイツ軍に提供した。その捜索の方法は、負傷兵を捜索し、見つけたらその帽子を脱がせて味方の衛生兵の元に持ち帰り(帽子がない場合はそのまま戻る)、衛生兵を伴って再びその負傷兵のもとへ誘導するものである。これによって衛生犬は救護を衛生兵に任せ、医薬品キットを携行する必要もなく、負傷兵を誘導する必要もなくなり、その作業内容が効率化された。帽子にはその負傷兵の所属や氏名などの属性が記されていたのであろう。

 沖縄戦の記録を読むと、隠れている沖縄の住民が軍用犬に発見され、しかしその犬は何も危害を加えずに戻っていき、しばらくすると米兵を伴って再びやってきたとする記録がある(読谷村「読谷村史 第5巻資料編4戦時記録下」2002年)。この場合は負傷兵ではなく、隠れている住民が捜索対象だったわけで、日本軍では斥候犬と呼ばれた軍用犬であったのだろう。

 このような軍用犬こそ、災害救助犬の原型である。災害救助犬の資格試験に合格した我が家のルカやビアンカの捜索も基本的には同じである。ただ、災害救助犬の場合、捜索の際にはハンドラーが近い場所に同行しているので、要救助者を発見した場合に犬はハンドラーの元に戻らず、その場で吠えて発見を知らせる。より迅速な救助を行うための改良である。

 なお、衛生犬が味方の衛生兵を負傷兵のところまで誘導する訓練を応用したのが、戦争で毒ガスや砲弾の破片で失明した負傷兵の戦後の社会復帰を助けた盲導犬である。今は障がい者福祉の象徴のような愛と平和のイメージの盲導犬も、また軍用犬の訓練の中から生まれた存在であった。


『負傷兵の帽子をとる衛生犬(負傷兵捜索犬)』写真の引用:「軍用犬ノ飼育ト訓練」陸軍歩兵學校将校集会所(1928年)