文字サイズ
総合政策学部 総合政策学科

「限界集落の必要性」

総合政策学部教授 岡惠介


日本の山村は、過疎・高齢化に悩まされている。人口は減る一方で、耕地は放棄され、かつての田畑が山へと還っていく。二〇世紀の日本は開発の時代で、山が切り開かれて田畑や宅地が造成され、一方では開発の行き過ぎを案じて自然保護が叫ばれた。自然の過剰利用が問題視された時代だった。

しかし二一世紀の今、村は徐々に自然に還り、今まで里山として使っていた自然が、使いこなしきれない時代が来ている。これからは、自然の過少利用が問題になる時代なのだ。

過少利用で拡大した森は、野生動物の絶好の棲み家になる。東北地方でも、シカやイノシシやサルが生息地を広げ、人里近くまで出没するようになった。かつて彼らを恐怖させた鉄砲撃ちは、もはや高齢者ばかり。森と里の境界を丁寧に除草し、獣たちが人目に身を晒さざるを得ない危険なゾーンを作って、人との棲み分けを設計した老婆たちは、草葉の陰に去って行った。

身近な例でいうと、仙台市の西部地域に生息するニホンザルの群れは、個体数を増やし、生息域を拡大し、農作物への被害が問題視されている。少し前までいなかったイノシシも増え、田を荒らすようになった。山から人がいなくなった分、そこに住む野生動物はどんどん勢力を拡大しているのだ。

ここで自然保護を標榜する人々からは、いいではないか、そこはもともと動物の棲家だったのだから、と情緒的な意見が聞こえてくる。

しかしそうではない。現代人は、人が都市に住むのは当たり前であるかのように錯覚している。日本人は農耕民族で、本来は農山村を中心に暮らしてきた。日本人が都市近郊に集住するようになったのは、昭和三〇年代からの高度経済成長以降で、たかだかここ五〇年ほどのことに過ぎない。昔から日本人は国土の七割を占める山にも住み、野生動物たちと棲み分けて暮らしてきたのである。そのバランスが、今大きく変わろうとしているのだ。

しかしこのまま人が住まず、山が荒れ放題になれば、里山が担ってきた森の保水・貯水機能は失われる。山が崩れ、川が氾濫し、土石流、土砂災害が発生することになる。尊い人命や財産が失われ、復旧には多大な税金の投入が必要となるだろう。森を動物たちに譲ってやった、などという美談にはならない。

だから我々は、山村にも人が暮らし、彼らが日々の営みの中で山を手入れし、管理してくれるように、野生動物の生息密度を調整しつつ、共に棲み分けながら暮らしていく方策を探らねばならない。