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総合政策学部 総合政策学科

山上げの頃

総合政策学部教授 岡 惠介


岩手県北上山地の山村では、藩政時代の南部牛の流れをくむ短角牛という肉牛を飼育している、国内の肉牛のシェアでは一パーセントに満たないという珍しい牛である。肉質が霜降りになりにくい赤身肉で、このため以前はホルスタインの廃牛同様の安い値で取引されていたが、最近は消費者の健康志向の波に乗って人気が出ているようである。

農家で飼っているのは牝牛で、これが二、三月の一番寒い時期に子牛を生む。そして春が来て六月の初め頃になると、農家の牝牛たちは子牛を従えて山頂の放牧地に移動する。これを山上げと呼んでいた。そこは国有林なのだが、昔から慣例的に放牧地としての使用が認められているのである。

今では牛をトラックに載せて放牧地まで運ぶ。しかし私が調査をはじめた頃は、多くの農家は牛を後ろから追いながら、放牧地まで歩かせた。私もついて行ったことがある。村と放牧地の標高差は五百メートルほど、たいした山登りではない。そこらの枝を切り取ってふりまわし、道草を食う牛を追いながら歩いた。

途中の沢で少し開けた比較的な平らな場所があり、みんなそこで牛を滞留させている。どうしたのかと思っていると、やおら牛が喧嘩をはじめた。女同士の角突きあいは激しい。あちこちで唸り声がこだまし、小競り合いがはじまる。角に引っかけられて、横腹に血を滲ませているのも出てくる。

聞けばこれは、わざと喧嘩をさせるのだという。この牝牛たちは放牧地でひとつの群れとして暮らすのだが、牛の社会は順位制で一度順位関係が決まれば争いは起きないのだそうだ。

しかし放牧地は柵もなく、牛たちは沢に下りて水を飲んだり、森の日陰で休んだり、広範囲に移動する。足場の悪い急傾斜地で争いが起きれば、沢に落ちるような事故も起こりうる。

そこで放牧地に行く前に、比較的平らな場所でみんなが見ている中で、わざと牛に喧嘩をさせ順位を決めさせる。牛が安全に事故なく放牧地で集団生活を送れるようにとの、人間側の管理技術なのだった。

スペインの闘牛は人対牛だが、日本の闘牛は牛対牛である。闘牛という文化の起源は、こうした牛の群れの管理技術に端を発したものではないだろうか。そんな考えも浮かんできた。

この季節に芽吹く、山村の人たちがもっとも好む山菜シドケ(モミジガサ)を摘みながら、私はあらためて山に棲む人々の知恵の豊かさ、深さに興奮を覚えた。