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総合政策学部 総合政策学科

国見夢物語(3)

2019.4.2
総合政策学部教授 秡川信弘


 標題の「夢」とは将来時点における「里山」自然の復活にかけた儚い一縷の望みである。

私たちの大学が立地する「国見」の景観はこの数十年の間に大きく変貌したものの、現代社会における生物多様性保全機能を担保しうる“SATOYAMA”は世界的に注目され、SDG’s(“Sustainable Developing Goals”)の不可欠な構成要素の一つとして期待されている。

 国連大学は昨年(二〇一八年)四月七日、渋谷区神宮前の国連大学本部でFarmer’s Market @ UNUと共催のトークイベント「里山から探る自然と人間のやさしい関係」を開催した。

イベントでは、人と自然の共生を提唱するプロジェクト「国際SATOYAMAイニシアティブ」に参画し、浦戸諸島の復興にも関与しているUNU-IAS(国連大学サステイナビリティ高等研究所)の天野陽介氏が話題提供を行い、“SATOYAMA”概念や研究事例(静岡県、フィリピン、台湾など)について紹介された。

 講義科目「環境論入門」で学ぶウォーター・フットプリント(Water-footprint)」提唱者の沖大幹氏(国連大学副学長)はESG投資によるビジネス進化の視点から「弱い持続性」を重視する環境プラグマティストであり、「誰も文句が言えない」SDG’s という時代の潮流を活用すべきであるとの考えから芸術や宗教などの文化的要素に注目している。

 昨年の夏から秋にかけ、私たちは儚い夢の実現への手がかりを求めて福島県を訪れた。

訪問先は本学の南南西二十有余里、貝山城(舘)址の北北東七里、宇津志城址の北五里に位置する針道集落である。仙台城下の暮らしを支えた「四ッ谷用水」の普請奉行を務めた宇津志惣兵衛の故郷「宇津志」は、本年一月七日の国見テラスで紹介された貝山城(舘)と同じ三春藩防衛の要衝の地にあり、羽山頂上の展望台から間近に見える「移ヶ岳」山麓にあったと考えられる(宇津志[二〇一四])。だが、天正年間には「南宇津志舘」と「上宇津志舘」の舘主は既に「宇津志」姓ではなく(菊池兵部太夫および田村宮内太夫)、後世の文書から、当時の宇津志家は「高倉舘(今泉山城)」配属の武士団として齊藤大膳麾下にあったと推測される(この間の経緯は宇津志[二〇一四]に詳述)。

 とはいえ、秀吉による「奥州仕置」後に伊達家に召し抱えられた点については貝山家と同様であり、諸般の事情から舘主の地位を失い、経済的にも困苦の状況にはあったものの、その優れた才能が政宗によって見出されたものと推測される。

財務分野に才覚を発揮したと考えられる貝山家とは異なり、宇津志家の能力は土木分野において顕著であり、宇津志惣兵衛が「四ッ谷堰」建設にあたって「普請奉行」に精勤した事績は子息の吉兵衛により「延宝五年御知行被下置帳」に記録されている(佐藤[一九九九])。その卓越した能力は「大阪夏の陣」における掘割の埋設工事によって鍛え上げられたものだったのだろうか。

いずれにせよ、数百年の長きにわたり、驚嘆すべき精度と維持管理システムを以て仙台城下の生活・防火用水、周辺農村の農業用水あるいは年貢米を水上輸送するための「船曳堀」給水など多目的用水機能を果たした「四ッ谷堰」の施工プロセスにおいて、普請奉行の務めを果たした宇津志惣兵衛の知識や才覚が不可欠なファクターであった点は疑問の余地のないところであろう。

 昨年(二〇一八年)九月二日付「国見テラス」で紹介した政宗の悪行(非戦闘員を巻き込んだ大量虐殺、いわゆる「撫で切り」(天正十三年閏八月二七日)事件の現場「小手森城址」も「針道」に存在している(現「愛宕神社」)。

源氏由来の旗祭りで著名な「木幡山」、「夏無沼キャンプ場」のある自然豊かな「太口山」、曰く因縁のありげな名称の「白猪森」等に囲まれた風光明媚な山村集落「針道」は標高四〇〇m前後の丘陵地に広がるかつての養蚕地帯のそこかしこに「里山」風景が残されている。

明治期の経済基盤「殖産興業」を支える輸出産業であった絹織物業は地域資源(自給飼料)を巧みに活用して蚕の排泄物や枝葉残渣等を含む廃棄物(蚕矢)を自然循環させることで火成岩由来の瘠薄土壌の地力を維持・向上(再生産)するとともに、桑園の立毛によって風食作用による表土浸食を防ぐ優れた環境保全型産業であった。山西・陜西地域における養蚕の衰退は黄土高原(Ocher Plateau)の生成に影響し、我が国にまで被害が及ぶ彼の国の黄砂現象をもたらしているのだという(原[二〇〇九])。

 「針道」への訪問時に驚かされたのは、林道の中を走る車の前を懸命に駆け抜けて行くイノシシ母子の姿であった。二百メートルほど先導を務めた後、「案内はもういいだろう」とばかりに「スッ」と脇に外れた彼らはみるみるうちに太口山の急斜面を駆け登って行き、「アッ」という間にその姿を消した。
同乗の四人全員が見たその光景が幻影などであろうはずはないのだが、いまだに私にはそれが異次元空間での経験のように思えてならない。

 山を越えた「山木屋」集落(川俣町)では、近畿大学の学生グループが大阪から夜行バスで通いながら「準市民制度『山きい~や倶楽部』」なる仕組みを活用した集落復興支援事業に取り組んでいるという。

和気清麻呂「薨伝」(『日本後紀』)に記載されたイノシシ伝説のごとく、原発事故に由来する強制保護区によって生み出された「越境難民」ともいえるイノシシの取り結ぶ「縁」を起点とする大学間協働による里山復活はできないかものかと、夢想はさらに拡張しつつある。孝謙・称徳(高野)天皇の寵愛を受けて皇位継承の野望を企図する弓削道鏡に対し、自らの生命を賭して敢然と立ち向かった清麻呂さんにあやかり、京都御所に隣接する「護王神社」にそんな夢の実現でも祈りたいものである。

【引用文献】
宇津志勇三[二〇一四]『寒き夏 仙台城下天明飢饉録』(本の森)
佐藤昭典[一九九九]『もうひとつの廣瀬川-四ッ谷用水のすべて[復刻版]』(東山青葉印刷)
原宗子[二〇〇九]『環境から解く古代中国』(大修館書店)