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総合政策学部 総合政策学科

葉に隠されたやばい真実

総合政策学部准教授 王元


あれは学部2年生の時だった。前期か後期かよく覚えていないが、確かに胡守鈞先生の「科学思想史」の授業だった。

胡先生はいわば歴史の勝利者である。「一介の書生であったこの俺の手で、四人組みの一人である張春橋を打倒したのだ」という自負を持っていた。十数年ぶりに教壇に立ったこともあって、毎回懸河の如き弁舌を揮っていた。

授業はルネサンスから佳境に入り、G・ブルーノについての回は非常に印象的だった。先生は同じ8年間入獄していたこともあり、毛沢東政治を「教会」に仕立てて批判した。「教会が無花果の葉で真実を隠した」と。

はて、私は急に先生の「葉で真実を隠した」という声が、耳に雷鳴が炸裂したごとく響いた。自分の中の事の重大さに気づいた私は、放課後一直線に図書館に向かった。「葉に隠された真実」を早く究明しなければならないと。

閲覧室に着くと、辞書棚に難なくあの『THE ENGLISH DUDEN』を見つけた。もう十何年間もこいつを開くことがなかった。そして、あのページにたどり着く、三回確認し、やはり、やばい!と唸って、最後に俄然と笑った。

両親が英語の教師であるため、家の本棚にはこの『DUDEN』があり、小学生の頃よく見ていた。英文の図解辞書なので当然辞書としてではなく、絵本代わりに眺めたのだった。家でこの本を見ることを禁止されたことはないが、堂々と引くこともなかった。百科全書のようなものであるため、子供の目に触れてはよくない「いろいろなもの」があった。子供のくせに私はそれなりにそれを知っていた。わからないものが多かったが、親に説明してもらえないので、想像力を発揮し一人で「解決」しようとした。

その疑問の一つはギリシャ神話の中に出てくる素晴らしい神々の図案であった。「あれ?おとこの神々の一部は変だぞ。奇妙な形になっているが、どうしたのか。」子供の小さい頭でいくら考えても理解できなかった。こういう時、やはり得意な想像力で「解決」するしかない。「神様だから」と。「72も変身ができる孫悟空ほどにはいかなくでも、体の一部を変形させるなんてお手のものでしょう」と。「でも何故あの奇妙な形に?それは、あの時代の流行でしょう、間違いなく」と。

以来十何年もの時間が過ぎていた。ずっと疑いなく神技と信じてきた私は、突然それはただの一枚の葉であることを知った。その時私はすでに大学の二年生になっていた。悲しい!けれど、やっと盲信という葉に隠されたやばい真実を知ったのだから、涙がでるほど大笑いにした。