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総合政策学部 総合政策学科

木の声、土の歌(9)

総合政策学部教授 秡川 信弘


義妹が逝ってまもなく七年になる。老いた妻の両親に代わって彼女の面倒をみるために仙台に戻った私たちだが、すぐには義妹との生活をスタートできなかった。介護に不安を持つ私が施設への訪問で義理をはたそうと考えていたからである。優柔不断な私に共同生活を決意させたのは彼女の健康状態の悪化だった。十五年前の冬、薄暗く寒々とした部屋に寝かせられていた義妹をタクシーに乗せて自宅に連れて行き、知人の紹介で大学の付属病院に入院させることができた。退院後の八年ほどの間にさまざまな出来事があり、その一つひとつが今となってはなつかしく思い出される。障がいを持つ彼女の生き方は誰よりも明確に私に生きることの大切さを教えてくれるものだった。

義妹と一緒に暮らし始めた頃、ラムサール条約の湿地登録プロジェクトにかかわることになった。「自然」に見える大崎地方の田園風景は水鳥たちの楽園であった湿地を干拓して造られたものであり、侵犯された楽園の部分返還によって共生関係の再構築を図ることがプロジェクトの目的だった。地元農家の方々にも参加していただき、シベリアから渡ってくる鳥たちと地元住民とがwin-winの関係をつくれるように知恵を絞った。また、環境省の研究予算をいただき、水田を利用した生物保護活動の現場を国内外で見せてもらう中で、自然の原風景を変え野生生物を駆逐した人間にはそれを回復する責務があり、それを実行しうる知恵や能力も備わっていることを改めて理解することができた。

ようやく義妹との生活や研究・教育活動が軌道に乗り始めた頃、本学設立時の虚偽申請の問題が発覚し、マスコミによって報道された。そのさなか、私もTVニュースに出ていたらしいのだが、残念ながら当時の私にはそんな報道番組を見る余裕さえなかった。

それから十年余りの歳月を経た昨年、地元『会津』で世界農業遺産の登録申請に向けた準備が始まり、その一員に加えていただけることになった。ラムサール条約にかかわったことを知った地元の方に少しは使える人間と思ってもらえたらしい。どんなカタチにせよ、地元の方々のお役に立てることは嬉しいことである。また、もう一つの新たな挑戦として沖縄の島おこしにかかわり、東北近県の先生方との協力関係を生みだそうと考えている。

義理と人情にふりまわされ、行く先を見れば「日暮れて道遠し」の感は否定できないものの、これまで自分なりに一所懸命に生きてきたつもりである。これからも義妹を手本に悔いのない人生をすごしたいと考えている。