文字サイズ
総合政策学部 総合政策学科

防犯対策について

総合政策学部准教授 大野朝子


「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」・・・。これは有名なトルストイの『アンナ・カレーニナ』の冒頭である(光文社古典新訳文庫より)。

「幸せ」と「不幸」の判断基準をどこに合わせるかは保留にするとして、家族の形は実に多様で、「家庭」は密室である分、さまざまなリスクを抱えている、ということを実感する機会がある。というのも、特別講座Ⅳでジェンダー論を担当していて、毎回学生のコメントペーパーを読む機会があるからだ。

学生には、毎回「個人情報をしっかり管理するので、なるべく個人的な体験をふまえてコメントしてほしい」とお願いしている。「個人的なことは社会的なこと」とは、1970年代にアメリカで盛んだった第二波フェミニズム運動が標榜していたスローガンである。それまで、家庭内の出来事は、「個人的なこと」と軽視され、家族間で処理すべきことだとして受け流されてきたが、上記の運動により、個人的な経験と社会構造の関係が改めて見直されるようになった。

私の専門は現代アメリカ文学であるが、女性作家を中心に研究を進めるうちに、ジェンダーをめぐる諸問題への関心が高まり、現在は性的マイノリティーやDVの問題について調べている。ジェンダー論の講義のために、毎日さまざまな記事をチェックしているが、DVについては、悲しいことに「ネタ」が尽きない、というか、たとえば虐待や性暴力など、細かいところまで目配りすると、いくら調べても追いつかないところがある。家族や恋人同士といった「愛情」を基盤とした関係が、暴力によって蝕まれてしまう危険性は、看過することができない。

特に女性は「犯罪弱者」と言われており、地方自治体が配布している防犯対策のパンフレットなどを見ても、特に若い女性の場合は、日常生活でも神経を尖らせなければいけない場面が多い(たとえばDVなどでも、近年は女性から男性への暴力が増えているが、実際は女性の被害者の数が上回っている)。

第三者から見たら、私などは、自分で勝手に恐ろしい事例などを「わざわざ」ネット等から調べて引寄せ、怖がっているだけ、と思われてしまうかもしれない。しかし、毎日多くの学生と接しているので、勝手にあれこれと最悪の事態を想像しては、防止策を考える癖が身についたのは仕方ないと思う。

ジェンダー論ではDVや家族の問題ついて講義をし、自分自身の体験に引きつけて考えるように課題を出している。これを機に、学生には個人的なことを自分だけの問題だと片付けず、少しでもおかしいと感じたら、周囲に相談できるように意識を高めてほしいと願っている。