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総合政策学部 総合政策学科

海枯れ石爛る

総合政策学部教授 王元


今年三月、久しぶりに中国安徽省の故郷を訪れた。同窓の友恒例の会食会に参加したが、その中でも伝義と令軍も揃って参加していた。中学卒業以来、両者が宴会で同席するのはなんと40年振りのことだった。二人は仲間のうちで殊に仲が悪く、犬猿の仲と言われている者たちだった。

ことの発端は小学三年生の時発生した二人の間の口論だった。

二人の村の間に小渓が流れていて、令軍は南岸の村の出身で、伝義は北岸の村の出身であった。二つの村は小渓を隔てて互いに顔を眺められる位しか離れていなかったが、生活習慣には些細だが差異があった。

ある日、二人の喧嘩が小渓の両岸出身の学生を巻き込む形で勃発した。しかも本来子どもとは関係のない酒の話にまで発展した。

昔から故郷では、酒を貴重な贈答品として人に贈っていた。しかし小渓の南では贈る際「これは美味しい酒です。是非召し上がれ」というのが礼儀で、逆に北では、「不味い酒ですが、どうぞ召し上がれ」というのが作法であった。

二人がこのことについて互いに気に食わなかった。伝義は「不味いとおもいながらも、よくも人に贈るな」と南を非難。令軍も「自分の酒はうまいと言うのは自画自賛だ、恥ずかしくないのか」と反撃。

先生が介入したことで二人の喧嘩は一旦下火になったが、先生が離れるとまた再燃した。しかも他の何人かの子供たちも小渓の南北両派に分かれて、互いに口撃しあった。最後には、クラスの再編にまで発展した小学校時代の一大事件になった。

周りの子供たちは喧嘩に辟易し、辞めるよう二人を喩したが、二人の関係はそれからも一向に改善しなかった。対岸が可笑しいと言い張って、互いに一歩も寄らず、学年が高くなるにつれ、代わる代わる新しい因縁をつけて喧嘩しあった。遂には二人は、「渓が東に流れる方向が変わらない限り、お互いの方を 向くを認めない」と宣言した。二人とも相当な原理主義者である。

これは子どもの喧嘩だなと思う。しかし笑うこともできない。国際関係にもよくみられる現象だからだ。しかも国の大小に拘われず。

無邪気な子どもが渓の対岸が可笑しいと軽蔑し、大国は海の彼岸は邪悪と警戒する。国際関係も一種の人間関係であるなら、成長しない子ども同士の関係であろう。

会食会に二人揃って参加したことで俄然とした私に、ある同級生が笑って説明してくれた。二人の関係改善の契機はあの小渓がある冬の旱魃で断流したことである。

なるほど、ならば国際関係を改善するために必要なのはが「海枯れ石爛る」の奇術かも知れない。