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総合政策学部 総合政策学科

クリスマスケーキの思い出

総合政策学部准教授 立花 顕一郎


私が子供の頃、我家ではめったにケーキを食べられなかった。日本がまだそれほど裕福ではなかった頃の話である。それでも年に2回だけは、ほぼ確実にケーキにありつくことができ、そのうちの1回は自分の誕生日で、残りの1回はクリスマスだった。



そもそも、「クリスマスケーキ」というものは日本独自のものであるらしい。明治43年(1910年)11月に創業した洋菓子店、不二家のホームページによると(https://www.fujiya-peko.co.jp/company/company/history.html)、不二家が写真のようなショートケーキ(スポンジケーキの上に生クリームを塗り、砂糖でできたサンタクロースやお菓子の家のミニチュアなどとイチゴを飾りつけたケーキ)を発売したのは同年12月だった。しかも、発売当時は一般庶民には非常に高価で到底お目にかかれないものだったそうである。

私の両親はガソリンスタンドを経営していたので、ほぼ年中共稼ぎだった。私が覚えている限り、クリスマスイブの晩にはお客さんの家に集金に行き、その帰りに洋菓子店に寄ってクリスマスケーキを買ってくれた。父の運転する車の中で集金が終わるのをじっと待っていたことを今でも覚えている。大人になった今になって考えてみると、一家団らんの時に集金に来られるお客さんも気の毒だったと思う。当時買ってもらったクリスマスケーキは今のような生クリームではなくバタークリームが主流だった。その理由は、各家庭に冷蔵庫が普及し始めるのが昭和40年代頃からだったらしい。冷蔵庫がなければ、日持ちのしない生クリームのケーキを売ったり買ったりするのが困難だったのだ。バタークリームはそれなりに美味しかったけれど、こってりし過ぎていて、食べた後に胸焼けがした。

その後、中学や高校に進学するにつれてクリスマスケーキの種類は格段に増えていった。チョコレートクリームやアイスクリームでできたクリスマスケーキなども登場し、我家の食卓にもやってきた。当時は日本の経済成長とともにクリスマスケーキも進化を続けていたのであった。

ところで、クリスマスケーキを12月24日に食べるというのも日本独自の習慣らしい。この原稿を書くためインターネットでクリスマスケーキについてあれこれと調べていたら、次のような記述が見つかった。「1990年代半ば頃まで、クリスマスケーキは24日に食べるものということで25日になると、残ったケーキを安売りする店が多くありました。このため、逆に25日に安くなったクリスマスケーキを買うという人もいました。」そう言えば、私が大学生の頃には12月25日にはケーキの値引き販売をしていて、アルバイトでケーキ販売をしていた友達からしつこく勧められたことを思い出した。

海外でクリスマスケーキを食べたこともある。語学学校のアメリカ・ツアーに参加して、カリフォルニアの一般家庭にホームステイした際には、ホストマザーが台湾出身の店主の経営する洋菓子店に連れて行ってくれた。その店では日本のクリスマスケーキと見かけも味もそっくりなケーキを売っていたのだ。当時のアメリカでは、そんな素晴らしいケーキにありつけるのは稀にみる幸運であった。なぜなら、アメリカのスーパーマケットで売っている一般的なケーキは青や緑など派手な色使いで、一口かじると砂糖のジャリっという食感が口の中ではっきりと分かるものだった。一度でもそんな経験をすると、以後はそんなケーキを見ただけで、ジャリっという幻聴が耳の奥で聞こえてしまう。知り合いのアメリカ人はこの極彩色のケーキが大好きだというのだが、私はどうしても好きになれなかった。

就職して、冬のボーナスで自由に買い物ができる経済的余裕が生まれると、友達と二人で東京の有名洋菓子店のケーキを食べ比べしてみようと思い立った。二人で6店くらい廻って12個のケーキを買い集めたが、クリスマスイブには一人5個ずつくらいしか食べられなかった。翌日には、もうケーキを見るのも嫌になり、残りのケーキを捨ててしまった。罰当たりなことをしたと反省している。その友達とは大学時代にお互いお金がなくて1週間毎日納豆と冷奴を分け合ったこともあったのだから、今思えば、当時のバブルな雰囲気に私も酔っていたのかもしれない。

現在では、いつでも美味しいケーキが気軽に食べられる良い時代になったのだから、クリスマスにはあえてケーキを食べなくてもいいのではないかとちらっと考えることもある。しかし、その考えを実行に移すことは到底できそうもない。長年の習慣だから如何ともしがたいのである。それどころか、生きているうちにあと何回クリスマスケーキが食べられるのだろうかなどと考えてしまうのだ。