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総合政策学部 総合政策学科

TV世代からデジタルネイティブ世代へ

2018.08.06
総合政策学部准教授 立花 顕一郎

 私は子どもの頃からいわゆる「テレビっ子」でした。両親が共稼ぎだったのでTV(テレビ)が私にとって子守代わりだったのです。私の親の世代は大人になってからTVを見るようになったので、生まれた時からTVのある環境で育つ子どもたちがどのような大人になるか多少の不安はあったに違いありません。「TVの映像ばかり見ている子どもは活字を読む時間が減り、頭が悪くなるのでは?」という指摘はTV文化がアメリカから輸入された当初からあったのでした。
 日本でTVの本放送が始まったのは1953年(昭和28年)で、家庭に急速に普及するようになった最初のきっかけとなったのは、一般社団法人・家庭電気文化会のウェブサイトによると、1959年の皇太子ご成婚とパレードを見るための購入が多かったとのことです。わが家もこの頃に白黒TVを購入したようです。もちろん、私が生まれる前のことでした。当時は番組の選択権は親がしっかりにぎっていました。例えば、今でもはっきりと覚えていますが、私が幼稚園の頃に一番見たかったTV番組『ウルトラマン』は毎週日曜日の夜7時から放送(1966年-1967年放送)だったのですが、ほとんど見ることができませんでした。父が毎日欠かさずにNHKの夜7時のニュースを見ていたからです。幸い「ウルトラマン」はその後何度も再放送されたので、私が小学生になってからようやく全話見ることができました。その時に驚いたのは、『ウルトラマン』がカラー映像だったということです。実は日本でカラー放送が開始されたのは意外に早く、1960年だったのですが、1966年に『ウルトラマン』の第一話をカラーで見ることができたのは日本の全世帯の1割にも満たなかったそうです。私が子どもの頃に見た番組はアニメも怪獣もすべて白黒映像だったのです。
 今では「テレビっ子」という言葉はほとんど死語になり、その代わりに「テレおつ」という新しい言葉ができたそうです。「テレおつ」というのは「テレビおっさん」の略語で、テレビの視聴時間が他の世代よりも著しく長い中高年男子をこのように呼ぶのだそうです。さて、この「テレおつ」世代の知性はTVからどのような影響を受けてきたのでしょうか?この問題に鋭く切り込んだ本があるので紹介させてください。それは、『愉しみながら死んでいく − 思考停止をもたらすテレビの恐怖』という本で、著者である教育学博士のニール・ポストマンが初版を1985年に出版しました。
 ポストマン博士はTVについて次のように述べています。「問題はテレビが愉しい番組を提供してくれることではなく、あらゆる番組が愉しいものとして提供されることにあり、これはまったく別の問題なのだ。」さらに、TVが発信するすべての情報はすべてエンターテイメントという観念の影響下にあるため、TV文化の人間は活字文化の人間よりも知性が劣るとも指摘しています。「人間がつまらないことで気を紛らわすようになったとき、文化生活がエンターテインメントの絶え間ない繰り返しになったとき、真面目な公的会話が幼児言葉になったとき…(中略)、国民は危機に陥ったことを知る。文化は確実に消滅する。」という言葉は、今の時代を予言していたかのようです。
 現代の子どもたちは生まれた時からTVよりもゲーム、スマホ、タブレットといったデジタル機器に慣れ親しんでいる世代であり、「デジタル・ネイティブ」と呼ばれています。「歴史は繰り返す」の格言どおり、今の親世代も子どもたちの将来に不安を持っています。生まれた時からデジタル機器やインターネットで気を紛らわしている子どもたちが将来どのような大人になるのか想像できません。そのため、「スマホばかり見ている子どもは勉強ができなくなるのでは」と親世代が心配するのも無理がないことだと思います。
 知性に劣ると指摘されたTV世代の一人である私ですら、デジタル・ネイティブ世代の学生が授業中にスマホでゲームをしたり、動画を見たりしているのを見ると心配が募ります。ポストマン博士は印刷物の文化の最後の牙城は学校だと述べていますが、授業中に教員がスマホの脅威に抗うことは容易なことではありません。スマホはTVよりもさらにエンターテイメント性が強いからです。対照的に、勉強の楽しさはエンターテイメントの楽しさとは違う種類のものです。その違いを学生たちに理解してもらえるようにこれからも授業を工夫していかなければならないと思っています。