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総合政策学部 総合政策学科

冬はつとめて

2019.12.25
総合政策学部教授 文 慶喆

 国見の丘から眺める風景は、とても穏やかで冬とは思えない程陽光が降り注ぎ安らぎを与えてくれている。

しかし、暦の上ではもうすでに冬の季節に入っている。季節の分け方は、日本には四季があり、一年を四分割すれば一番簡単だが、そうすると季節の実態と合わないところが出てくる。

一年を季節に分けると四つになるが、それをもっと細かく分けると二十四節気になる。この二十四節気は太陰太陽暦、即ち旧暦を基準にして作られているので最も季節に近いと言われている。二十四節気を基準にすると冬は「立冬」から「立春」までの間とされている。今年は11月8日が立冬であり、それを過ぎて新しい一年の出発点に当たる「冬至」も越している。

 「冬はつとめて」。これは「春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮、冬はつとめて」で有名な清少納言の「枕草子」の一句である。

しかし、なぜ冬は早朝が良いのか。春のあけぼの、夏の夜、秋の夕暮はすぐにその風情に同感するが、冬の早朝は寒過ぎて布団の中から出るのが億劫である。その寒さの上に、雪が降ったりするとなおさらである。勿論、清少納言もこの感覚には違わなかっただろう、

「冬はつとめて。
 雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。
 昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりてわろし。」

 「いと寒きに」。この「いと」は副詞として、程度がはなはだしいことと古典の時間に習った。

私が生まれ育った実家のある韓国の田舎の冬はとても寒かった。その時は冬の訪れも非常に早く、冬休みになるにはまだ遠い時に小学校に行く道の両側には霜が降りて朝の太陽に照らされ真っ白に輝いていた。

学校から帰って来ると、部屋には鉄で出来た火鉢がおいてあり、炭火の灰も段々白くなりつつあった。学校の帰りはちょうどお腹が空く頃、火鉢の灰の中には食べごろになっている焼き芋が入っていた。食べて間もなく外は暗くなり始める。

電気のない時代、家の周りは真っ暗闇に包まれる。しかし、突然部屋の中が薄っすらと明るくなる。その正体は雪の光である。その時はなぜか夜になると雪がよく降って来た。雪の降る音はないような、あるような、とても静かだった。雪の降る音が聞こえそうなのはそれくらい静寂だったかもしれない。

清少納言は、夏の月の夜はさらなりと言ったが、私にとっては、冬の「雪の夜はさらなり」。いつまでも夜が続きそうな、深い雪の中に埋もれていた。雪の長い長い夜も夢と共に消える。

「冬はつとめて」。

身を切るような寒さも、冬の早朝の空気はとても気持ち良かった。私の幼少期を過ごした韓国の田舎の冬は、清少納言の平安時代とあまり変わらないような気がする。