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淡路・渡邊ゼミ(地域政策論)エクスカーション報告

経営法学科/総合政策学科
 地域政策論をテーマとした淡路・渡邊ゼミでは、毎年地域の状況・課題の把握を目的に各地域に直接赴いて踏査を行うエクスカーションを実施しています。今年は、前期に3回のエクスカーションを実施しました。その報告を参加したゼミ生から行います。

➀仙台市街地の踏査報告(報告者 3年 細川佑真)  
【期日】5月16日
【踏査地域】仙台市中心市街地(仙台市役所から東一番町・国分町界隈)

 まず私たちは、仙台市役所に赴き、一階の市政情報コ―ナー(仙台市の公文書館の役割を担う部署)で公文書の開示について説明を受けました。そこでは仙台市に関する文書が多く置いており、表にないものに関しても希望をすれば開示してもらえる(あるものに限る)とのことでした。


 次に、定禅寺通りについて解説をしていただきました。
定禅寺通りは今こそ大きい通りになっていますが、戦前はとても細い道でした。昭和20年7月の仙台空襲によって仙台市の中心部は全て焼失して無くなってしまった為、戦後の都市計画の変更で今のような大きい定禅寺通りが作られていったそうです。

定禅寺通りという名前の由来ですが、元々定禅寺という寺院が現在の勾当台公園と仙台合同庁舎があるあたりにあって、そこに通じる道という意味で定禅寺通りというようになりました。
定禅寺は明治初年に廃寺になりましたが、ただ廃寺となった後も仙台市民がお寺にお参りしていた通りとして、定禅寺通りという愛称になり、お寺の名前が残ったそうです。


 その後、東一番町から国分町界隈の中心市街地に関しては、一番町四丁目商店街・プランドーム一番町・サンモール一番町と続く東一番町の北の入り口に仙台市役所・宮城県庁、南の入り口に東北大学と一直線に繋がっているため、昔は人通りが盛んだったそうですが、仙台駅に向かって今のアーケードのように、たくさんのお店が出来てから、人の流れが駅の方向に向いてしまい、サンモール一番町側は人通りが少なくなってしまったそうです。またプランドーム一番町からサンモール一番町にかけて昔は多くの劇場があったそうです。

 なお、勾当台公園の「台」の字は台地のことで、勾当台公園から青葉通りの方向に向かって進むと、道が坂になっていることが分かりました。普段何気なく通っている場所もよく見ることで様々な発見があると思いました。他にも要所要所で解説をして戴きながら巡りましたが、仙台市は様々な歴史があって今の形になったことを学びました。昔と比べて今人通りが少なくなった処などを如何にしたらまた活気づけることが出来るか考えていきたいと思いました。

②仙台市地下鉄東西線の踏査報告
【期日】6月20日
【踏査地域】仙台市地下鉄東西線沿線を仙台駅を基点に東西2分割

②ー1 仙台~荒井界隈(報告者 3年 菅井大貴)
 赤字が続く東西線に対してどのような策を講じられるかを探しつつ踏査を行いました。

連坊駅では、商店や飲食店は極端に少なく、周辺に住んでいる人達も仙台駅に向かう場合は徒歩か自転車を選択する方が多いのか、仙台一高の生徒の通学が主な利用目的な印象を受けました。

薬師堂駅には、国の指定文化財である「陸奥国分寺薬師堂」があります。薬師堂を紹介するガイダンス施設などが設けられていましたが、正直あまり集客を望める施設ではありませんでした。

卸町では、イオンや卸商センター、バイパスが近くにある影響か、卸町と六丁の目駅の2つはほかと比べて車通りや歩行者の数が多い印象を受けました。その他の商店や飲食店なども多く見られ、比較的活気のある駅で、再開発の可能性があると感じました。

六丁の目駅は近くに工業団地があるからか、ほかより飲食店がとても多く、昼食の時間帯になるとどの店も満席になっていました。しかしこの工業団地が来年秋頃までには仙台東ICに移転するとの事なので、工場が無くなった工業団地跡地が今後どう活かされるのかが、六丁の目駅周辺の地域の課題だと感じました。

最後の荒井駅はターミナル駅である土地だからか、医療施設や飲食店などはそれなりに見られましたが、スーパーマーケットなどは遠からずも近からずといったような感じで結局は車が必要となり、それにより利用客があまり伸びないのでは無いかと予想しました。

 今回、地下鉄東西線をみてのまとめとしては、連坊、薬師堂駅は、住宅地が駅周辺にあるため再開発や人を呼び込むための駅にできる可能性は少なく、逆に卸町〜荒井までの駅は建設中のタワーマンションや商業施設、移転を控えている工業団地等、周辺の土地や施設の関係上再開発や集客の可能性があるように感じました。


②―2 仙台~八木山公園駅界隈(報告者 3年小口陽平)
 東西線の中で、西側にある、大町西公園駅、国際センター駅、八木山動物公園駅の3駅界隈について報告します。
私は東西線を利用したことがなく、どの駅を見るのも初めてで、色々な知識を得ることが出来ました。大町西公園駅は、都市と郊外の境のような微妙な位置にあって、東側は大町・青葉通りに面した商業地域の様でしたが活気はなく、北側の西公園・西側の広瀬川から青葉山に続く地域も平日は閑散としていました。そこから歩いて広瀬川を越え、国際センター駅へ向かいました。同駅は、国際センターをはじめとした周辺施設の導線がはっきりとしていないこともあって一番近い道が分かりづらく、そこの行き来が少し面倒に感じました。ここの利用者も多くはありませんでしたが外国人が多いように感じました。次に西側の終点の八木山動物公園駅まで行きましたが、ここは、この日見た駅の中で一番利用者が多く、その理由として、の一つは八木山動物公園とベニーランドの二つの観光スポットがあるということ、もう一つは公共交通機関の整備が進んだことで、八木山地区の住民が増えたということが考えられます。

 現在の東西線は、南北線に比べて利用者数が大幅に少なく、当然、利益も少なくなっています。この状況を改善するためには、私案として今ある駅の内駅境圏の近い駅を減らし、もっと小回りの効くバスと繋ぐようなコンパクトで使いやすい状況を作り出すことはどうだろうか。もっと現実的で良い案は有ると思うので、それを自分で考えつくことができるように、これからも地域政策、地域振興についての知識を増やしていきたいと思います。

③米沢市の踏査報告
【期日】6月25日
【踏査地域】 米沢市地勇信市街地(旧米沢城下)

 自分にとっては地元であり、よく知った土地だと思っていましたが、今回のエクスカーションで今まで知り得なかった様々なことを知ることができました。

 まず、最初に米沢市役所付近の探索を行いました。元々市役所は、米沢市の中心市街地である旧米沢城(上杉神社)近くの平和通り周辺(現米沢市図書館の位置)にありましたが、昭和45年に中心市街地を離れ、郊外の現在地へと移転、そのご移転後の庁舎の老朽化で昨年新庁舎が竣工、現在では周辺に公共施設等も集積してきています。

 次に、市役所から徒歩で上杉神社まで移動しました。その途中で、平和通りと呼ばれる商店街を通りました。昔はこの商店街が商業の中心でしたが、今ではイオンのある通りが商業の中心となっており、平和通りはシャッター通りになってしまっています。平和通りがシャッター街になってしまった理由は、先にも述べたように、もともと平和通りの近くにあった市役所が現在の位置に移動したことも考えられます。

 上杉謙信を祭神として米沢城本丸跡に建立された上杉神社では稽照殿と呼ばれる宝物館があって、上杉家に伝わった刀や甲冑、絵画等、米沢藩9代目藩主である上杉鷹山ゆかりのものや、川中島の戦いの屏風を見ることができました。ここでは、毎年5月になると上杉まつりが行われ、たくさんの観光客の人たちであふれかえります。

次に、上杉家廟所に行きました。ここは、上杉家歴代の藩主たちの廟がいくつも並んでいます。上杉家の家系図や廟に使われている建材も見ることができました。ここには杉の木が植えてありますが、その理由は、廟が壊れてしまったときにその杉の木を使ってすぐに直せるようにするため、と渡邊先生に教えていただきました。この日は、この場所に団体の観光客の人たちが来ていて、観光スポットとして人気があるということが確認できました。


 今回の調査では、いつも見ていた視点とは違う視点で米沢を見ることができ、さらに米沢市の良さを再確認することもできて、やはり観光地としてもっと人を集めることのできる土地だと思いました。しかし、米沢市は公共交通機関が使いにくいという問題点があります。今回、移動のためにバスを使用しましたが、バスは1時間に1本あるかないかという程度しかなく日帰りで観光することは難しいと感じられました。

そこで、まず一つ目の策として、今あるバスの本数を増やすということが考えられます。そうすれば、日帰りで米沢市を観光することができるだけでなく、地元の人たちの移動も楽になります。また、二つ目の策として、米沢周辺の地域と連携して観光案内を出すことが挙げられます。米沢市の周りには、高畠町、喜多方等の観光地が存在しています。その観光地と協力して観光案内を出すことで、米沢に来てもらいやすくなるのではと考えられます。

 今回、自分は米沢の交通の問題に着目しましたが、ほかにも問題は存在していると考えられます。それに自分の力で気づけるように、そして自分の力で解決案を出すことができるように、地域についてもっと勉強していきたいです。